観音・地蔵尊

Origami-maNDala-Kaleidoscope

折り紙・曼荼羅・万華鏡...。
お供え


専念寺地蔵にお供えされた、お水と"くす玉"折り紙です。

六地蔵第三番

 諏方神社すぐ横にある浄光寺境内の東都六地蔵第三番です。
浄光寺門前

坂下平和地蔵

由来の記

 昭和 20年(1945)3月 4日朝、アメリカ空軍 B-29によって、この地域の千駄木・谷中に多数の爆弾が投下され、大きな被害を受けました。死者 500人以上といわれています。
 この地には、銭湯「鹿島湯」があり、石灰貯蔵庫を防空壕に入っていた赤ちゃんを含む 23人の方が犠牲になりました。
 昭和 34年(1959)、この方々の冥福と戦争を二度と起こさぬことを誓い、近所の人々によって、この地蔵尊が建立され、「坂下地蔵尊」と命名されました。

 平和地蔵尊を守り戦争体験を語り継ぐ懇談会
  坂下平和地蔵    古い街並みが比較的多く残るこの地域について、『すぐ近くの東大が、爆撃の標的からはずされていたから、谷中界隈も爆撃から逃れた。』という話を聞きます。それが真実なのかはわかりませんが、まったく空襲の被害を受けなかった訳ではありませんでした。   ■ 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」 80号 ・特集/六十年めにやっと聞けた わが町の空襲 (2005年7月20日発行) http://www.yanesen.net/backnumber/080/  

夏の「ご利益」大セール!

 四万六千日分の功徳を戴きに、夕刻早くより駒込大観音(光源寺)ほおずき千成市へ。
ほおずき千成市

浄土宗 光源寺は大改築が随分長く続いていまして、現在も本堂は工事中です。今年はそんな中での、ほおずき千成市です。浅草寺ほおずき市(浅草)には、規模も歴史も及びませんが、露店も演し物の企画や進行も、お寺や地元の方々の運営による、アットホームな縁日です。
駒込大観音

駒込大観音と言いますが光源寺も、隣接する駒込学園(中学・高校)も現・町名は向丘なんですよね。

■ 駒込大観音 ほおずき千成市(谷根千ねっと・情報トピックスより)
http://www.yanesen.net/topics/topic/2096/

坂下観音

 大給坂を降りきり、不忍通りに出る手前の左手に小さな観音堂があります。
坂下観音


 はじめ見つけた時は、その小ささにお稲荷様かと思いましたが、千駄木三丁目北町会ホームページには、このように紹介されています。

坂下観音
 大正時代、井戸を掘っている時に偶然如意輪観音像が出土。近所の住人が自宅敷地内に奉っていたところ、地元の名士=大給氏が土地を提供し、近隣の人々が協力し堂宇を建て現在の地に安置されたものです。堂内にはこの 観音像出土を祝って作られたご詠歌が奉納されています。


 ネットで調べていたら「近所の住人」とは四宮政治さんという方のお祖父さんのようです。


■ 千駄木三丁目北町会ホームページ
http://www.sensan-kita.org/
>> 町内会案内図 >> 坂下観音
http://www.sensan-kita.org/p14.htm

四宮政治文化研究所
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/
■ 日誌一月二日
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2006/01/post_adf6.html

みしま地蔵


みしま地蔵尊由来

 太平洋戦争下の昭和20年3月4日午前8時40分頃、小雪降る中に、谷中地区は B29爆撃機の空襲を受け、死傷者約500人、全半壊家屋約200戸の被害を蒙った。
 戦争も終わり昭和23年、当時の三崎町、初音町4丁目、真島町の有志により、三ヶ町の戦災者70余名の霊を永久に供養するために地蔵尊が建立された。
 みしま地蔵尊とは三ヶ町の町名からそれぞれ一字をとったもので『三四真地蔵』、かなで読みやすくした。

 平成 4年 11月     台東区教育委員会

060213.jpg

谷中は「寺町ゆえに戦災を逃れ、古い町並みが残された」わけでもないのですね、、、。

1

イベント・レポート

アーカイブ

カテゴリ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち観音・地蔵尊カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは稲荷神社です。

次のカテゴリはキリスト教会です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ネコ温度計

リンク:サイト構築