上野恩賜公園

猛残暑

 何だか久し振りに、ジリジリと肌が灼けていくのがわかるような暑さでした。東京はその上、サウナに閉じ込められたように息苦しい湿気がまとわりつきます。上野動物園の屋外にいる動物、それも生態に合わない気候にはうんざりとしていることでしょう。
山嵐


17:00を回っていますが、今週の上野動物園はまだまだ続きます。
ヤマアラシは暑さにグロッキー。氷枕が一縷の救い、抱きしめて離しません。
山嵐

上野東照宮から西へ下る階段下の野良猫は、一匹去り、また一匹減り。残されたのはただ一匹。
東照宮猫

 上野公園内、上野東照宮には「広島・長崎の火」のモニュメントがあります。8/6の今日、「広島・長崎の火」記念碑を訪れました。
広島・長崎の火記念碑


「広島・長崎の火」の由来

 昭和 20年(1945)8月 6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。広島の惨禍を生き抜いた福岡県星野村の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。1968年 8月 6日、星野村はこの「広島の火」を「平和の火」として、村人の協力によって今日も灯し続けています。
  "
  核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。
  核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
  第二のヒロシマを
  第二のナガサキを
  地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。
  "
 これは「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」(1985年 2月)の一節です。
 昭和 63年(1988)3,000万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わされて、ニューヨークの第 3回国連軍縮特別総会に届けられました。
 同年(1988)4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全(さがひろなり)宮司は、この提案に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。広範な人々のよびかけによって、翌平成元年(1989)4月、"上野東照宮境内に「広島・長崎の火」を灯す会"が結成されました。それから一年余、数万人が参加した草の根運動と募金により、平成2年(1990) 7月 21日、モニュメントが完成しました。
 被爆 45周年を迎えた同年 8月 6日に星野村の「広島の火」が、8月 9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」が、このモニュメントに点火されました。
 私たちは、この火を灯す運動が、国境を越えて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。

 1990年 8月     上野東照宮に「広島・長崎の火」を灯す会


・・・と、灯る火に目をやると。
島・長崎の火記念碑


!!・・・ひ、火が消えてるじゃぁ、ありませんか〜っ!

蓮華の庭

不忍池の蓮池が、鬱蒼と葉と花をつけ始め見頃を迎え始めています。
不忍池


昨冬に、大がかりな蓮池の伐採をした為か、池の辺まで、新葉は緑濃く瑞々しく、蓮の花もここ 1〜2年と比較しても多数花開いている気がします。
蓮池


関連リンク: いつも解説がわかりやすく丁寧な「上野経済新聞」の記事。
■ 上野公園・不忍池のハスの花が開花−8月上旬に満開の見通し(上野経済新聞
http://ueno.keizai.biz/headline/146/

頂に立つ者

 手塚治虫、大友克洋を継ぐマンガの表現者、井上雄彦の"最後の展覧会"が始まります。先述の 2名は「動き」への追求から、映像(アニメーション)へ興味が向いていきましたが、井上雄彦は絵画に止まり、目に見えない感情を描くことに執心しています。
『バガボンド』より『リアル』の方が、作者の一貫したテーマを上手く扱っていると思いますが、マンガ表現の革新性で言えば、『バガボンド』でしょうか。
井上雄彦展

上野の森美術館で、5/24(土)より。...きっと混雑するのでしょうね。


■ 「バガボンド」井上雄彦さん、上野で「最後のマンガ展」−全館描き下ろし(上野経済新聞
http://ueno.keizai.biz/headline/70/

エコは上野から

現在も元気に稼働中です。
ガソリン値上げ? > (たぶん)関係ないです。
CO2排出? > (きっと)カンケーないです。
光子力


木漏れ日の中、音も立てずに粛々と光子力充電中。
光子力充電中

秋色桜

 雨模様、ソメイヨシノの桜並木もほとんど散った、上野恩賜公園。東叡山 清水観音堂の裏手に、樹の側に碑と古井戸を備えた、見事なしだれ桜があります。「秋色桜[しゅうしきざくら]」という名を戴いた桜です。
秋色桜


秋色桜[しゅうしきざくら]

 上野は、江戸のはじめから桜の名所として知られていた。数多くの桜樹の中には、固有の名を付せられた樹も何本かあり、その代表的なものが、この「秋色桜」である。

 井戸ばたの
   桜あぶなし
    酒の酔

 この句は元禄の頃、日本橋小網町の菓子屋の娘お秋が、花見客で賑わう井戸端の様子を詠んだものである。桜の枝に結ばれたこの句は、輪王寺宮に賞せられ、一躍江戸中の大評判となった。お秋は当時 13歳だったと伝えられている。俳号を菊后秋色と号した。以来この桜は「秋色桜」と呼ばれている。ただし、当時の井戸は擂鉢山の所ともいい正確な位置については定かではない。
 お秋は、9歳で宝井其角の門に入り、其角没後はその点印を預かる程の才媛であった。享保 10年(1725)没と伝えられる。
 碑は昭和 15年(1940)10月、聴鴬荘主人により建てられた。現在の桜は、昭和 53年(1978)に植え接いだもので、およそ 9代目にあたると想像される。

 平成 8年 7月     台東区教育委員会

新坂(鶯坂)

JR鶯谷駅南口から上野寛永寺方面へ上る坂を「新坂(鶯坂)」と言います。
新坂

新坂

 明治になって、新しく造られた坂である。それで「新坂」という。明治 11年(1878)内務省製作の『上野公園実測図』にある「鶯坂」がこの坂のことと考えられ、少なくともこの時期には造られたらしい。鶯谷を通る坂だったので、「鶯坂」ともいわれ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。

台東区


坂は線路上を、根岸方面、言問通りへ下っていきます。
鶯坂

タダ乗り

無賃乗車か、ウミネコよ。
ウミネコ


春うららかな不忍池。
ボート池

中国の至宝「メガパンダ」

 ここは、上野商業街と上野公園を結ぶ連絡橋、パンダ橋。このパンダ橋の上に、JR上野駅入谷改札口があります。
パンダ橋


このパンダ橋が完成した平成 12年(2000)から二年後の平成 16年、中国からあるモノが贈られました。
それが入谷改札に現在も展示されている巨大パンダの標本(剥製)です。
入谷改札


 ジャイアントパンダの発見は 1869年と言いますから、パンダの存在が世に知られてから 150年も経ってません。その間に 5頭の巨大パンダ(全長 2.5~3m)が死体として発見されました。1頭は腐敗がひどく廃棄されましたが、残る 4頭が標本として剥製にされました。当初はジャイアントパンダの突然変異と思われましたが、2004年のDNA調査から独立した亜種と確認され、「メガパンダ」と名付けられました。
 4頭の標本のうち、1頭は大英博物館に、残る 3頭が北京故宮宮博物院に保管されていました。
平成 14年(2002)、日中国交正常化 30周年を記念して国立科学博物館にて、3頭の「メガパンダ」の剥製を約二ヶ月間、特別展示した後、1頭が正式に日本政府に寄贈されることになりました。その後、紆余曲折を経て、2004年にパンダ橋(入谷改札)に「メガパンダ」の標本は恒久展示されることになりました。
メガパンダ

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