風船あられ工場の秘密

あられ今日は 3月 3日の桃の節句でしたね。
雛霰[ひななあられ]といえば、関東では大粒で色とりどりのポン菓子のこと(雛あられ - Wikipedia)で、醤油で味付けられた「あられ煎餅」とは別物です。
関東風ひなあられは「おいり - へびみち日記」に近いかも知れません(ポン菓子 - Wikipedia)。
「風船あられ」とは、つまり関東風雛あられに入っているような、大きめのポン菓子のことです。
現在、松坂屋 上野店・新館(上野広小路)が建てられている場所に、明治中頃からはじめた「秀英舎」というあられ屋が戦時中頃まであったそうです。揚げ煎餅、五色あられなどとともに、風船あられが売られていました。当時は浅草の雷おこしか、上野の風船あられか、というくらいの名物だったそうです。
 
関連リンク:
■ 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」18号(谷根千ねっと
・根津藍染町から谷中真島町へ抜ける道 - 渡辺治右衛門(JIEMON)て誰だ
http://www.yanesen.net/archives/backnumber/018/


その「風船あられ工場」の名残が『 あ ら れ 』の看板です。
あ ら れ
 
以前も地元の方に紹介して頂いて写真を撮っていたのですが、本日ちょうど家のご主人がいらっしゃって、ありがたいことに再び、敷地の中から写真を撮らせて頂くことができました。
近くから見ても繋ぎ目がない立体の文字看板は、素材がわかりませんでした。
 
---
今日この場所で、ウグイスのさえずりを聴きました。
 

  • LINEで送る

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://kokoronoboss.com/mt/mt-tb.cgi/6200

コメント(4)

ここはもしや…
あの階段の…井戸のある…。
私もいつもあの階段を降りて駅に向かっているのですが、
数年前から「あられ」という文字がすごく気になっていました。
なんと、あのお宅は風船あられの工場だったのですね!

それに初めて気付いたのが、裏の宗善寺の墓地からのぞいた時に「あられ」が目に入ったのです。

んー谷中の歴史を知ることが出来てうれしいです!

長運寺さんの前の道も大昔は瑞輪寺のようにでかーい参道であったようです。自宅を立て直す際に、地面を掘り返したら大理石の石壁が発掘されたので、その名残だったかと思います。

mineraさん、こんにちは。
「おけいこ横丁」に向かって長運寺の参道が広がっていたのでしょうか。大理石の石壁とは興味深いです。
地域雑誌『谷中 根津 千駄木』には、本当に様々な谷根千の話が調べられ、記録されています。谷根千の新しいお店巡りも楽しいけれど、歴史を振り返りながら路地を散歩するのも楽しいですよね。

mineraさんのご指摘のところだと思います。
であれば、30年前は小学校の同級生が住んでいました。
私は長運寺と「おけいこ横丁(昔はこんな名前は無かった)」の間に住んでいました。地上げで引っ越しましたけどね。
階段下りて突き当りを左に進んだ角にも同級生が住んでいたけど、もう20年以上あってないな。
公道に面していればグーグルのストリートビューで見ることができますが、このあたりは車は通れませんからね。
私が住んでいたころには長運寺にハチという名のゴールデンレトリバーがいましたけど、さすがにもう存命ではないでしょうね。

PATRIOTさま、はじめまして。
この近所に住まわれていたのですね。確かにここまではストリートビューは無理ですね。昨年でしたか、右奥のアパートが火事に遭った際も消防車は入れず、言問通りからホースをつなぎ続けたそうです。
最近の長運寺では飼い犬は見かけなかったような気がします。妙行寺の犬も今ではヨボヨボの老犬になってしまいました。
コメントありがとうございました。

コメントする

イベント・レポート

アーカイブ

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、管理者ウが2010年3月 3日 21:58に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「鈴の音」です。

次のブログ記事は「【南池袋】雨の外市〜軒下の古本縁日〜」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ネコ温度計

リンク:サイト構築