谷中鶯

碑は、「岡倉天心記念公園」「日本美術院」の院歌です。
岡倉天心が酒に酔い、詠んだ歌を横山大観が「院歌」としました。
日本美術院歌碑
 
碑文は見えにくいですが、すぐ近くの「谷中コミュニティセンター」には拓本のコピーが掲示されています。
 


谷中  初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい
気骨侠骨 開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでもよい

 
録 天心先生 作 日本美術院之歌 大観

 
碑文は横山大観の筆によるもので、「[うぐいす]」「紅梅花[うめのはな]」が、文字を使わず、挿絵にかけられています。
■ 日本美術院史 外伝 その1(日本美術院
http://www.nihonbijutsuin.or.jp/colum/contents_furuta01.html
 
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岡倉天心記念公園にも梅がありますが、明治時代、この辺りは谷中初音町といいました。
旧 谷中初音町 4丁目
 
 町名は、本町内に鶯谷と呼ばれるところがあったことから、鶯谷の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鶯などの声のことである。
 谷中初音町は、はじめ 1丁目から 3丁目として誕生した。明治 2年(1869)のことである。そして同 4年(1871)、江戸時代から六阿弥陀横町または切手町といわれた武家地が初音町 4丁目となり加わった。さらに同 24年(1891)、初音町 4丁目は谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併し、ここに初音町としての町域を確定した。
 本町には、かつて日本近代美術の先覚者岡倉天心が住んでいた。明治 13年(1880)東京大学卒業後、文部省に勤めたが、同 22年(1889)、東京美術学校を開設するなどして日本近代美術の振興につとめた。その天心の旧居跡が現在の岡倉天心記念公園である。公園正面の六角堂には本区名誉区民・芸術院会員であった平櫛田中作の「岡倉天心坐像」が安置されている。

 

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このページは、管理者ウが2010年2月25日 21:38に書いたブログ記事です。

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