坂道・階段

お化け階段

お化け階段 2005年に隣接した土地に集合住宅が建ち、幅が広くなった「お化け階段」
下から上ると 40(死十)段なのに、上から降りると 39(三重苦)段になるからとか、石段に墓石が使われているとか、言われましたが、もとの暗くて細い階段ではなくなり、それほど話題にもならなくなりました。

おばけ階段
(2006/4/27)』(都市徘徊blog)によりますと、それまであった私道が "二項道路"という扱いから、隣接する集合住宅を新築するにあたって現行の建築基準法により幅員を 4m以上確保しなければならない、との事で、「お化け階段」の南側は階段下(根津)から中途半端に階段が広がったのでした。

そして 2008年から 2009年にかけて、今度は階段の北側(弥生)に住宅が建設されました。今度は階段の北側に沿って最上段まで幅 4mに拡張されました。中央に残されたもとの「お化け階段」と、両脇が住宅建設とともに付け足された階段です。もとの階段が歪んでいるために平行ではありません。
つぎはぎだらけの「お化け階段」です。
お化け階段
 

向陵稲荷坂

 向陵稲荷坂[こうりょういなりざか]は、開成学園・高校と中学校の校舎(& 校庭)に挟まれ、かつて道灌山[どうかんやま]と呼ばれた高台に上る坂です。坂上の脇に向陵稲荷[こうりょういなり]があることから名付けられました。
向稜稲荷

 
坂下、開成中学校校舎 3階と、特別教室棟(~高校校舎)空中通路から大きくカーブします。春の時期、桜のトンネルが美しい坂です。
向稜稲荷坂

 
向稜稲荷坂

新坂(鶯坂)

JR鶯谷駅南口から上野寛永寺方面へ上る坂を「新坂(鶯坂)」と言います。
新坂

新坂

 明治になって、新しく造られた坂である。それで「新坂」という。明治 11年(1878)内務省製作の『上野公園実測図』にある「鶯坂」がこの坂のことと考えられ、少なくともこの時期には造られたらしい。鶯谷を通る坂だったので、「鶯坂」ともいわれ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。

台東区


坂は線路上を、根岸方面、言問通りへ下っていきます。
鶯坂

山角氏の石段

 一昨年、初めて訪ねた「谷中ホテル」会場入り口付近にある石段です。
石段


下から二段目に「山角氏」と、彫られています。使用されなかった墓石でしょうか。
石段

君よりも少し下

 この階段を上がりきると上野・東照宮。私はこの階段でいつものようにひと休み。私より上には先客が。
階段の貓


この場所は比較的涼しいけれど、さすがに昼間は、老いた黒猫達はもっと涼しい場所へ移って不在です。若い貓だけですねえ。
ほら、休んでいる間にまた 1匹、若い猫がやって来ましたよ。

三崎坂

 早朝、緩やかで長い三崎[さんさき]坂をよみせ通り(旧藍染川)の枇杷橋跡から眺めたところです。
三崎坂


三崎坂

三崎[さんさき]」とうい地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。
 安永 2年(1773)の『江戸志』によると、三崎坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことにちなむという。

団子坂

 不忍通りから千駄木 2丁目と 3丁目をカーブしながら上る団子坂です。坂上は「大観音通り」の名の通り、白山方面へ進めば、光源寺・駒込大観音があります。
団子坂


江戸川乱歩のデビュー作『D坂の殺人事件』のD坂は、この団子坂です。また最近では、"団子坂にある古道具屋"が主人公の歴史サスペンス・コミック『イリヤッド〜入矢堂見聞録〜 』(原作: 東周斎雅楽・画: 魚戸おさむ)で知られているかも知れません。

団子坂

 潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。 「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂とと唱ふ云々」(御府内備考)

「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また『御府内備考』に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治 40年(1907)頃が最盛期であった。また、この坂上には森鷗外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。

 平成 10年 3月     文京区教育委員会

白ばら階段

 藪下通りに面した、緑に囲まれた無名の階段です。
07051102.jpg


 元は、この上にあった炭問屋さんの入り口でしたが、現在は左右に並ぶ家を突っ切り、住宅街へ抜ける階段になりました。春から秋にかけて四季折々の花と緑が楽しめる階段ですが、晩春のこの時期、白いバラの香りが藪下通りへあふれて少し優雅な気分に浸ります。

しろへび坂

 汐見小学校の北側を藪下通りに上る坂。というか階段です。
しろへび坂


 上りきると藪下通りにぶつかり、坂の正面に見える銀杏の木は本郷図書館鷗外記念室(観潮楼跡)です。

大給坂

 銀杏の木と、写真右が大給坂[おぎゅうざか]です。銀杏は剪定されてから見栄えが悪いのですが、手入れや近隣住民の方々の生活を考えたらこの方が良いかも知れませんね。中央付近に見えるのは、先日すりすりしていた猫ですね、たぶん。
銀杏と大給坂


大給坂

 かつて坂上に大給豊後守の屋敷があったことから、大給坂と名付けられた。
 大給氏は、戦国時代に三河国(愛知県)加茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)三河西尾に移封された一族である。
 現在残っている大銀杏は、大給屋敷の内にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は次のように詠んでいる。

 初冬や 竹きる山の なたの音 
             漱石

 平成 3年 3月     文京区教育委員会

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