建物

バラック改築 2009年、8月に閉店しました「長命源 本舗」に、リニューアルのため、11/3を以ていったん閉店(閉店セール開催中、11/1の写真)しました「nuicoto[ヌイコト]」の建物です。二店舗を合わせて改築し、「nuicoto[ヌイコト]」店主のご家族が経営される雑貨卸問屋「松野屋」の直営店として生まれ変わる予定です。
現在、その改築工事を地元の工務店「坪井建築工事」が請け負われています。(先の「nuicoto[ヌイコト]」店舗の内装も坪井さんの仕事でした。)
建物はとても古く、終戦直後に建てられたバラック小屋ではないか、との話も噂では聞いていました。実際に坪井さんらが内装を外してみると、奥の一部は戦前〜遙か明治時代らしき(参照: ぬうこと あむこと >> 只今改装中)名残があり、手前の大部分は終戦前(戦時中)頃に建て増したバラック小屋だったようです。戦後60年以上修理・改築されながら生き残った建物を、取り壊さず、まだ修復しながら再生活用して店舗にされるそうです。

基礎は朽ちて土台を失いかけ、屋根は穴が開いて空が見え、壁は朽ちて風が入る・・・。戦時中に建てられたと思われます「バラック小屋」に、建築物としての歴史的価値とか民俗学的な意味は見出さないでしょう・・・。だって、こんな廃材を寄せ集め、とりあえず急場しのぎでこしらえた、天井です。しかしこの天井を眺めていると、国の将来もわからぬまま、食糧や物資が乏しい中でも雨風だけはしのごうとする、必死に生活された時代が見え隠れしているようです。
バラックは、解体して建て直した方がどんなに手間がかからず、安全なことか。家主さんにとっても、店子になられる松野屋さんにとっても、工事を請け負う坪井建さんにとっても、そんな思いもあるはずですが、あえて壊さず、直して使う。もちろん改築予算のこともあるのでしょうが、手間をかけて工夫をした方が、面白いじゃない?という様子でした。
バラック改築
 
天狗倶楽部と富士書房 そうそう、「坪井建築工事」の坪井さんらが、内装を壊していたら、「nuicoto」と「長命源 本舗」の外壁と内装の隙間の壁に、このような「看板」が出てきました。終戦前か後なのか、このバラックが建てられて初期に開いていたと思われる店舗らしき名称。「看板」といっても、漆喰の壁にペンキで文字が書かれているだけですが・・・

 緑の三角帽子型駅舎でお馴染みの JR日暮里駅南口は、平成元年に開設(1989/7/8)されました。
日暮里駅南口


もみじレリーフ谷中霊園、天王寺から紅葉[もみじ]を下り、日暮里駅東口広場へ至る紅葉坂人道橋(通称: もみじ橋)のと、日暮里駅構内の線路を跨ぐ乗り換え通路を結ぶ形で作られました。
それまで JR日暮里駅の改札口は現在の北口側のみに、「東口」(日暮里側)と「西口」(谷中側)がありました。地元商店会の活性化という側面もありますが、なにより地元住民をはじめ、日暮里駅利用客の利便性からも、日暮里駅南側への新たな乗降口開設は、永年待ち続けた地元の念願でもありました。
もみじ橋に面した南口改札の窓枠にはモミジのレリーフが施されています。

現在、南口改札のお陰で、西側(谷中方面)には紅葉坂の階段を上がると、すぐに天王寺、谷中霊園のメインストリートである「さくら通り」に続き、東京藝術大学の学生や都立上野高校の学生ら、学校関係者が多く利用されます。
また、東側は日暮里繊維街で服飾材料や衣料品を買い求める人たちが多く利用しています。
南口


「もみじ橋」の階段下に設置された門には、南口改札を模した、緑の三角帽子型が載っています。

ジャスミン ハウス

 街のあちらこちらからジャスミンの香りが漂ってきますが、こちらも強い芳香を放っていました。築五十年以上は経つでしょうか...。現在は空き家で、家の前の敷地をジャスミンで覆われていました。
ジャスミンハウス

 弥生美術館(竹久夢二美術館)立原道造記念館の間に大きな更地と 三軒の家があります。立原道造記念館裏に隠れた一軒は随分以前から空き家で、あとの二軒は、私が記憶する限りでは、年末まで住人がいました。東大弥生門の正面にあるこの三軒、今日(4/1)通りかかると解体の表示を見つけました。3日から解体するらしいので、ちょっと写真を撮っておくことにしました。
正面の鉄骨の建物は除き、その裏の木造家屋です。暗闇坂からですので一階部分は見えません(隣の更地を多うシートが貼られているため)。
民家


谷根千界隈の古い木造は、寺町であることが影響しているのでしょうか、「下見板張り」と呼ばれる塀が非常に多いです。こうした「縦板張り」に「切妻屋根」の壁部分がモルタル(もしくは漆喰)の"昭和らしい"木造建築は数少ないと思います。
木造二階建て


そして少し見えている、この木造二階建ての奥、立原道造記念館裏の廃屋です。
立原道造記念館

追分一里塚跡と高崎屋

東京大学弥生地区、農正門の正面には本郷通り(岩槻街道)と旧白山通りがぶつかる三叉路で「本郷追分」と呼ばれています。その場所には江戸時代「追分一里塚」があり、「高松屋」は江戸時代より現在に至るまで酒店を営業されています。
高崎屋


追分一里塚跡

 一里塚は江戸時代、日本橋を起点として街道筋に 1里(約 4km)ごとに設けられた塚である。駄賃の目安、道程の目印、休息の場所として、旅人に多くの便宜を与えてきた。
 ここは、日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道で、中山道の最初の一里塚があった。18世紀中頃まで、榎が植えられていた。度々の災害と道路の拡張によって、昔の面影をとどめるものはない。分かれ道にあるので、追分一里塚とも呼ばれてきた。
 ここにある高崎屋は、江戸時代から続く酒店で、両替商も兼ね「現金安売り」で繁昌した。

 平成 7年 3月     文京区教育委員会

■ 区指定史跡


一里塚跡
この周辺の埋蔵文化財調査から、「高崎屋」の銘が入った酒徳利が数多く発掘されていることからも、当時の繁昌振りが想像されます。

開福招慶

 京浜急行電鉄の泉岳寺 - 品川区間にある「泉岳寺トンネル(南行)」です。トンネルの上に碑(扁額)が掲げられているのですが、ご覧の通り西面には高架線路、東面は JR線路に囲まれ、地上から確認出来る場所がありません。よって、JR山手線(もしくは京浜東北線)の車両から確認するか、京急本線を、泉岳寺駅から品川駅まで最後尾の車両に乗り、背面を見続けることになります。
泉岳寺トンネル


 扁額には、このように書かれていました。

開福招慶

 昭和四十三年
 晴雄書

開福招慶


 昭和 43年(1968)に約 5年をかけたトンネルが完成し、6/21に、品川 - 泉岳寺(都営地下鉄線への乗り入れ)間が開通しました。"晴雄"とは、当時の京浜急行電鉄社長であった、佐藤晴雄氏だそうです。

水墨蔵

 本駒込・天祖神社近くの古い屋敷の蔵です。

蔵


 ちょっとね、壁が水墨画のよう。
蔵・正面

根津遊廓が、あった頃

「文京つつじまつり」で賑わう、不忍通りから新坂(S坂)への門前通りです。
門前通り


 かつて栄えた遊廓の賑わいを、貧しい想像力で思い描いてみるのですが・・・
門前通り


 現在の門前通りではなく、おそらく現在の不忍通りとほぼ並行に走る(つまり斜めに道路に面している根津神社の鳥居からまっすぐと根津駅付近へ延びるような、)と、通りがあったのでしょうか...。この界隈には江戸と明治の一時期、遊廓が建ち並び、大層賑わったそうです。
杉本染物舗」の横に次のような解説板が設置されています。


根津遊廓の跡地

 根津八重垣町(昔は門前町と言った)から根津神社まで遊廓があった。そして昔根津は不寝と書かれていたようだ。小石川本郷と谷中の中間の谷間で、天保十有余年この根津に娼妓[しょうぎ]がいたことを記している。更に当時の江戸市中の風紀から見て一大改革が持たれ、俗に言う水野越前守の禁粛政治で根津遊廓も禁止した。明治維新となるやこの根津の遊廓復帰は声高く叫ばれ公然と開業された。ところが東大、一高が本郷向丘に開設されるに及び、再びこの根津遊廓廃止論は大きく起こった。そして遂に明治 20年(1887)12月限りで廃止。その殆どは洲崎に移り、また一部は吉原に移った。明治 15年(1882)当局の調査によると吉原(娼妓 1,019人)、根津(娼妓 688人)、品川(娼妓 588人)と記され、その盛況ぶりが偲ばれる。

 昭和 62年 4月
 文京歴史研究会  荒川忠親  浪越徳治郎
          小林光二  田中行成
          松浦信夫  石坂岩雄
          田代喜一郎 森田一郎
          高田栄一  菊見岩雄
       (株)柏崎土建  中尾泰一
          里見博康  北山茂
          小平千里  杉本順子


 地域雑誌『谷中 根津 千駄木』とともに、この地域の歴史を語る上で欠かせない貴重な史料『ふるさと千駄木』(著:野口福治)には、明治の根津遊廓の風景がもう少し詳細に書かれていました。

 明治 3年(1870)3月には藍染川の支流、弥生坂下の流れに、立派な手すり付きの橋を新調し、あいぞめ橋と名付け、遊廓の表門とした。
 なお、八重垣通りの中央に桜の木を植え、その樹間に雪洞[ぼんぼり]を立て、灯りを入れて、新吉原にならった。その規模と繁栄は急速に拡大し、明治 10年(1872)には八幡楼をはじめ、貸座敷の数 90軒、娼妓 574人、内外の芸者 33人、他に引手茶屋 22軒、飲食店 17軒となった。


 このつつじまつりの風景より多くの店と客で夜中賑わっていたようです。この根津遊廓があった頃を偲ばせる(見られる方の想像力頼みですが...)遺構が、路地裏に辛うじて残っていました。

 毎年、新たに巣立つツバメの姿を楽しみにしていた不忍通り沿いの某マンションの駐車場ですが、以前は終日開かれていたシャッターが今年は 4月から閉じたままです。(時々開いているのですが、以前のように"開けっ放し"ではないようです。防犯上のこともあるのかもしれなせん。)
07042000.jpg


 改修工事かテナントの事情なのかはわかりません。巣の下が糞で汚れる苦情も住人の方から伺ったこともあります(「仕方がないよねぇ。」と仰っていました。)
 鳥もまた、年月と環境の変化の中で新しい住み処を見つけなければならないのでしょう。


【追記: 5/21】
ツバメの飛来時期を勘違いして申し訳ありません!!
5月に入り飛来、例年通りシャッターは開け放され、巣作りを始めています。

 古い看板・店舗と"トールペインティング"という一見ミスマッチな取り合わせが妙に惹きつけさせられます。
太安堂


トールペインティング教室 太安堂は不忍通り沿い(根津神社そば)、「根津のたいやき」「八重垣煎餅」の向かい付近にあります。トールペインティング教室と、こちらで制作された小物や家具が展示、販売もされています。
 元が「太安堂」という、美術(調べきれませんでしたが画材店か画廊か...看板の文字が読めるほど頭が良くないもので。後日わかりましたら加筆修正します。)を扱う店舗を、トールペインティングのアトリエとして借り、通りがかりに興味を持たれた方々に教えられるうちに教室のようになっていったそうです。

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